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は今自分を抱き締めている男の顔をちらりと見上げて、溜息を吐いた。
ふかふかのお気に入りのソファ。
床に転がっているのは、数本の酒瓶。
アンドリューが、別に酒に弱いという訳では無い。自分と同じく酒に強くも無く弱くもないことは、何度も晩酌を共にしているので知っている。しかし、普段なら程々に酔った所でおしまいにしているので、酔い潰れた時にどうなるかまでは、今の今まで知らなかった。
──何というか、これは……
程々で止めておく酒を今日に限ってばかすか飲みまくったのは、きっとまた何か一人で思い悩むことがあったからに違いない。何で悩んでいたかは解らないが、何となく想像はつく。相談してくれれば良いのに、と
はぷく、と頬を膨らませた。
と。
膨らませた頬に指が当てられ、ぷしゅぅ、と口から空気が抜けた。
「……何?」
「ふくらんでたから」
「……はい?」
「
のほっぺた、かわいいな」
「………………はいはい」
訳の解らない言葉に、今相手が酷く酔っている状態だということを思い出す。
──……甘え上戸、とでも言うべきなのかな……
最初は、止めたのだ。グラスに注がれたワインを、まるでビールを飲むかのごとくぐいぐいと次から次へと飲み干していくから。身体に悪いよと、無理しすぎだと止めたのだ。だが、それで止まるのならば最初からこんなペースで飲むはずもなく、元から吊り目気味でただでさえ顔は怖い(それ以外は怖くない)のに、更に座った状態で五月蠅いとゴーグルの下から睨み付けられれば、何も言えなくなってしまう。そして、今は、この状態。
気付いた時には、既に抱き締められていた。
その腕が、あまりにも優しくて、そして自然すぎて、最初は何が起こったのか理解出来なかった。我に返って驚いて彼の顔を見上げてみれば、口元が今までに見たことが無いくらいに緩んでいて。そして、目があった途端に、それはそれは嬉しそうにぎゅうぎゅうと力を込められた。それは、まるで、小さな女の子が、とてもとても気に入ったぬいぐるみを、腕にしたかのようで。何か特別な感情が込められている訳でもなく、ただ単純にツボに入ったから抱いた、それだけ、というのがあからさまに見てとれるのだから、抵抗する気も起きなければ、胸をときめかせる事も出来なかった。何だかなぁ、と心の中で溜息。
そして、それからもう数十分は経過している。
されるがままになり続ける、というのは疲れるものだなぁ、と身体をもそもそと動かして、座りっぱなしで疲れた腰に刺激を与える。これはとても座り心地の良いソファなのだが、ほぼ同じ態勢で長時間というのは、さすがにキツい。少しでも抵抗する動きを見せればますます拘束してくるのでそのままにしておいたが、もうこれ以上は身体がもたない。そろそろ自分の現状を訴えても良い頃だろうと、
が彼の顔を見上げれば。
何やら、穏やかな、呼吸。
「ちょっ……アンディ?」
「…………ん〜……」
「ん〜、じゃなくて。眠いの?」
「………………ん」
「ん、でもなくて。こんな所で寝たら風邪ひくから、もうちょっと頑張って、ベッドで寝よう?」
まるで子供に話しかけてるみたいだと自分でも思いつつ、アンドリューの頬を軽く叩いて覚醒させる。それで少しは意識が戻ったのだろう。
を解放し大きく欠伸をしながら立ち上がると、まるでそうするのが当然であるかのように、彼女をひょい、と持ち上げた。
「ぅひゃっ! な、なに、何?」
この男、意外に力はある方だ。抱き上げられた──というより肩に担がれた
が悲鳴を上げる。何とか下ろしてもらおうと暴れてみるが、まるで効果は無かった。酔っている割にしっかりした足取りで、リビングを出てどんどん通路を歩いていく。丁度そこを通りがかった
に助けを求めてみたが、彼は小首を傾げただけで実に暖かい目で見送られてしまった。全く薄情なロボットだと文句を言った途端、天井の出っ張りに後頭部をぶつけて呻く。そうだ、今は自分は後ろ向きに進んでいるんだったと背後を振り返れば、そこは、彼の部屋の前。
「え、え? な、ま、まさか、連れ込むとか言わないよ、ね?」
額から汗がつい、と流れる。彼女の嫌な予感は的中した。部屋の入り口を僅かに頭を下げて潜り、肩に乗せている船長の抗議も非難も文句も全部右から左へ聞き流したアンドリューは、そっと
を自分のベッドへと下ろすと、逃げる間も与えずに自分も横になり、シーツをかける。まずい。というかやばい、これは非常にやばい。彼はそんな事をする人(というか出来るような人)ではないと思っていたし、信じてもいたが、それはあくまで素面での話。こうも酔っぱらってしまっては、理性も何もかもがすっ飛んでいるはず。現に先程まで自分はずっと彼の腕に抱かれていたし、これはつまり、彼は今素面では無いという事で。素面で無いのなら理性の欠片も無いだろうしそれならばつまり今ここで自分に対してあんな事やそんな事をする可能性が大というか、いやこれはもう、完璧に自分のミスだ。彼も男なのだから、予想はしておくべきだったし、もっと激しく抵抗しなければならなかった。でも、もし万が一そうなってしまっても仕方ないというか諦めというか別に嫌では無い自分も居たりして。あぁいや、これは、多分、ミスを認めて、覚悟を決めているという事なのだろう、自分が。でもやっぱり恥ずかしい気もするし、しかし彼の力を考えるとここで逃げられる訳も無いし、あぁもう、何を考えているのか全く解らなくなってきて、何だか大混乱しているのも自分でも解っていて、こういう時は、そう、もう──
──えぇままよ! もう、なるようになれ、だ!
ぎゅ、と目を瞑って、身体を固くして身構える。彼の腕が背中に回り、優しく優しく胸に抱かれた。額にちゅ、と口付けを受け、思わずびくん、と震える。これは武者震いだ、武者震いなんだと自分に言い聞かせている合間に、耳元で一言、囁かれた。
──……え?
驚いて目を開けて、アンドリューの顔を探す。彼は頬にもキスをすると、にっこりと微笑んで、そのまま枕へと沈み込んでしまった。こんなにも側に居る、そもそも密着しているというのにぽつんと一人取り残された
は、ぱちくり、と瞬きをすると、恐る恐る、彼の頬に手を伸ばす。
「……あの、アンディ……?」
もう一度軽く頬を叩いてみるが、今度は全く反応が無い。もう完全に眠りに落ちているのだろう。寝息も、胸から聞こえる鼓動も、一定のリズムで刻まれていた。
──……これ……私……完全にただの抱き枕扱い?
その事実に気付いた途端、彼女の頭に血が上った。あれだけ大騒ぎさせておいて、結果がコレ。部屋に連れ込んでおいて何をするかと思えば、添い寝させるだけ。いや、それはそれで自分は無事なのだし良い結果なのだが、すっかり勘違いしたあげく覚悟すら決めてしまった自分が恥ずかしいやら悔しいやら情けないやらで、非常に腹立たしい。いやこの状態なら誰だって勘違いするだろうしどうしようと思うはず。……多分。というか何だ武者震いって。よくよく考えたらあの場面で武者震いって、つまりは臨戦態勢でもうどんと来やがれって事でつまりやる気満々って事じゃないか、自分。あぁいや問題はそういう事じゃなくて、だから、その、つまるところ。
──この男が、全部悪い!
紅潮した頬のまま、僅かに瞳を潤ませて彼の顔を睨みあげる。……が、彼はもうとっくの昔に夢の中。効果など、あるはずもない。一体どんな夢を見ているのやら、その口元が、幸せそうに緩んでいる。
──………………ま、いっか……
その寝顔を見ているうちに、ごちゃごちゃになっていた自分の感情がすぅ、と治まっていくのが解った。もそもそと自分とアンドリューの身体に挟まれている腕を抜いて、彼のゴーグルを外してやる。傷跡と端子の残る二つの瞳は閉じられていて、義眼を着けていようがいまいがどうせ見えないのだから。それならば、こんな物は外しておいた方が寝やすいに決まっている。それを枕元に置き側にある照明のパネルで部屋の明かりを消そうとし、止めた。もう一度、彼の顔を見る。
初めて見る、幸せそうな顔。
彼も、こんな顔が出来るのだ。
はそっと溜息を吐いて、同じように額と頬に軽く唇を触れさせると、今度こそ照明を消して彼の腕の中に収まった。
私を抱いて寝ている今、彼はとても幸せなのだ。理由は解らないけれど、多分、誰かのぬくもりが欲しかったのだろう。だから身体を暖める為にあんなに飲んだのかもしれない。……いや、それは無いかな。
とくん、とくんと耳に伝わる鼓動が心地よくて、自然と瞼が重くなる。大きく欠伸を一つすると、彼女もまた目を閉じた。彼の欲しがったぬくもりになれた事が、何となく嬉しい気もするし、一晩くらい付き合っても何て事は無い。それに、何だか、自分もとっても幸せだし。
──おやすみ、アンディ……
そう胸の中で呟くと、アンドリューの胸に額を預けて、
もまた眠りに落ちていった。
******
目が覚めると、頭の中で鐘が鳴っていた。
おもむろに枕元に手を伸ばし、視力を取り戻す為のゴーグルを取る。が、取ったと思ったそこにゴーグルは無く、思いがけない場所で固く冷たい感触。何故いつもの場所に無いのだろうとはっきりしない頭で思いながら義眼を着け照明を点ける。途端に脳天まで光の矢に貫かれ、慌ててゴーグルのスイッチを切った。酷く脈打つ頭が痛いやら気持ち悪いやらで、呻き声をあげてその場に丸くなる。
──……風邪、か……?
が、その単語は思い浮かんだと同時に消えた。その代わりに、別の単語が頭を支配する。二日酔い。そういえば昨日は酒を飲んだ様な気がする。しかしどうにもすっぱりと記憶が抜け落ちていてはっきりとはしない。いや、酒は飲んだ。どうにも深く落ち込んでいた気もする。何で落ち込んでいたのかも綺麗さっぱり消えていたが、とにかく酒を飲まないとやってられない気分になって、飲んだ。そこまでは思い出せる。が、そこから先の記憶が無い。
記憶が無いという事は、相当の量を飲んでしまったのだろう。珍しく二日酔いになってしまうのも頷けるし、いつも同じ場所に置いておくはずのゴーグルを変な所に置いてしまったのも納得出来る。そして、今気付いたが、着替えもせずに寝てしまった事も。ベッドに辿り着いたまでは良かったが、細かい部分にまでは気が回らず、いつもと違う場所に置いたに違いない。……いや、途中で倒れて
が運んできてくれたのかもしれない。あいつは大雑把だから。しかし
の力で私をベッドに運ぶ事が出来るだろうか。もしかして、運搬用ロボットに運ばせたとか? ……あいつなら、やりかねない。
「……もしそうなら……夕飯に嫌いな物を入れてやる……」
相変わらず不快感の残る頭を労りながら、アンドリューがゆっくりと身体を起こした。時計を見れば、既に8時を過ぎている。あいつの事だ、朝食を作って起こしてやらねば、いつまでも惰眠をむさぼっているに違いない。気分は非常に優れないが、かと言って仕事を放り出すわけにもいかない。全く手の掛かるヤツだと思いながら、顔を洗ってからキッチンへと向かう。
「あ、おはよ、アンディ。早かったね」
キッチンに入ると、眠っていると思った
は既に起きていた。テーブルに料理──調理プログラムが作った物だ──を二人分並べて、手に持ったコップにミルクを注いでいる。
「もっと遅く起きてくるかと思ったけど。ミルク、飲む?」
「……いらない……」
「何だか元気無いね。……もしかして、二日酔い? 大丈夫?」
その問いに答えるのも辛い。彼は自分がいつも座っている椅子を引っ張り出すと、ぐったりとそこに身を沈めた。ことん、と自分の前に何かが置かれる音がしてぎりぎりそれが視界に入るだけ頭を動かすと、みかんジュースが注がれたコップが目に止まった。のろのろと手を伸ばして、少しずつ口に含んでいく。
「……ねぇ、アンディ……」
の声が聞こえる。いつもの元気の良さが感じられず、何故だか恥ずかしそうな様子。ジュースを飲みながらちらり、と彼女の様子を窺うと、顔を伏せて何やらもじもじしている。
「……昨日、凄かったね」
ぶふぅ。
「君、酔っぱらうとあんな風になっちゃうんだね。何か、びっくりしちゃった」
俯き加減のまま、頬を僅かに染めて、照れくさそうに笑う
。その恥じらいの表情は何だ。らしくない程に可愛らしい動きは何だ。
「……あ、れ? もしかして、覚えてない……?」
こちらの反応が全く無い事に気付いたのだろう。
が小首を傾げて訊ねてくる。一つ頷くと、彼女は一瞬だけ傷付いた様な表情を見せたが──気のせいだろうか──、口元に可笑しそうに笑みを浮かべた。
「そっか、覚えてないんだ。そうだよねぇ、あんなに酔っぱらってたもんねぇ、記憶が落ちててもしょうがないかぁ〜……」
腕を組み、大袈裟にうんうんと頷いてみせる。かと思うと、にこ、と輝くような笑みを見せた。普段ならば思わずどきりとする様な表情だが、今この状況でそれを見せられても、別の意味で鼓動が早くなる。一体何を言われるのやら、何をからかわれるのやら、からかわれる原因となった自分の行動が解らないだけに、恐怖だけがどんどん膨らんでいく。
「大丈夫、安心して。この事は、誰にも話さないから、ね?」
ナイショ! とばかりに口に人差し指を当てて、ウインク。突拍子も無い事は言われなかったので、思わずほっと溜息を吐いて、みかんジュースでべたべたになった自分の口の周りを拭く。……しかし、一体自分は何をしたのだろう。酔うと酷い状態になる知り合いの顔と行動を次々に思い出して、彼の顔から血の気が引いた。まさか、まさかとは思うが、脱いではいないだろうか。それとも、キスを迫った?
の先程のもじもじした様子を見る限り、候補はこの二つ。私は一体、どちらの行動を──まさか、両方?──取ったのだろう。恐る恐る、口を開く。
「……私は、一体、何をしたのだ?」
「うん、それはナイショ」
「……は?」
「言ったでしょ? 誰にも話さないから、って」
だから、君にも話さない。そう悪戯っぽく笑うと、彼女は思わず問いつめようと伸ばした腕をひょい、とかわして、逃げた。思わず待てと大声を上げて、途端に頭痛が再開して、自滅。その場に蹲って、襲ってくる吐き気と戦う。先程自分が拭いたジュースで床が汚れているのが目に止まった。これ以上ここを汚しては、掃除が大変になる。何とか立ち上がって、シンクに突っ伏す。間に合った。
──……これが治まったら……徹底的に問いつめてやる……!
四度目の胃からせり上がる波に乗りながら、アンドリューはそう決意してシンクの縁を握る手に力を込めた。
酔っぱらいネタはベタの部類に入ります。ベタネタは一通り制覇していきたいですね!
▼おまけ
「おい、
。昨日私は……」
「……いえ、
は何も見てません。えぇ、何も見てませんとも」
「明らかに見ていた態度ではないか! 言え、私は何をした!」
「そんな事、
の口からはとてもとても……いえ、見てないので何とも言えませんが」
「嘘をつけ!」
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