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「あぁもう、わっかんないよぉ!」 宇宙航行のルートを決めるのは、船長の仕事。
──ルート計算は、得意な方だと言われるけど。
物心付いた時から、父親と一緒に宇宙を駆け回り、そしてその仕事をずっと隣で見てきたからだろう。ルート選択には、そんじょそこらの航行士よりも上手く出来る自信はある。事実、スターフォックス達に保護されていた時は、その能力を遺憾なく発揮して重宝がられ、別れる時は非常に惜しまれたものだ。だが、得意だからと言ってその作業に苦労しない訳ではない。人よりも良いルートを選べるというだけで、労力も時間も、一般の航行士と同じくらい使うのだ。腕を伸ばして肩の疲れを軽減させて、溜息。
──……こんな時は、気分転換、かな。
はこきこきと首を鳴らし、最後の力を振り絞って持っていたペンを卓の上に置くと、そのまま操作パネルのボタンをいくつか立て続けに押した。途端に、卓の上に映し出されていた星図が拡大され、操縦席が宇宙空間へと変わる。巨大な自分が宇宙に現れた錯覚を覚えるが、しかしそれでも自分の眼で見える範囲はほんの一部分でしかなく、自分の視界のずっとずっと先まで永遠に続いている星と暗闇に、いかに宇宙が広いのかを使う度に思い知らされた。
──……あれ?
あんなに頭を悩ませていたのに、あっという間に辿り着いてしまった。私は今、一体、どんなルートを通ったのだろう。は目をぱちくりさせると、必要な部分だけをもう一度再生させる。途中で使ったルートは、先程必死に考えていた時には思い浮かばなかった、抜け道。そうだ、その存在をすっかり忘れていたと彼女はぺちんと額を叩き、手を伸ばして宇宙に浮かんでいるペンと計算用パッドを取ると、物凄い勢いで計算を始めた。 ルートが、決まりそうだった。
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操縦室の扉を開けると、そこは宇宙だった。
予想外の光景にアンドリューはそこへ入る足を思わず止めてしまったが、何のことはない。操縦室が今星図モードになっているだけだ。ルート計算中なのかとの姿を探せば、今この宇宙に浮かぶ惑星よりも遙かに大きな体。だが、様子がおかしい。、と声を掛けてみるが、反応は無く一定のリズムで刻まれる呼吸音が返ってくるのみ。足下に浮かぶ惑星を踏みつけながら側に寄ると、彼女が卓の上に突っ伏して眠っているのが確認出来た。計算中に疲れて寝てしまったのだろう。呆れたように溜息を吐いて、星図システムのスイッチを切る。ぶぅんと小さな音がして、元の操縦席へと戻った。
──こんな所で寝ていては、風邪をひくと何度も言っているのに。
足下に落ちていた、彼女が使っている赤いタータンチェックのブランケットをその肩に掛けてやり、ついでに副船長席の背もたれにきちんと掛けられている、青いストライプの自分のブランケットをその上に掛ける。彼は少し考えると、二枚のブランケットを一度彼女からはがし、自分のを先にかけてから、彼女のをその上に重ねた。よし、と小さく頷いて、自分の席に座り、の寝顔を何とはなしに見つめ、そして卓の上の計算パッドに気が付いた。薄く固い枕状態になっているそれをそっと抜き取り、眺める。
余すところなく走り書きの計算式が書かれた、自分では理解出来ないルート一覧。
航行ルートの事で彼女がいつも苦労しているのを知っている。出来るだけ安全なルートを選ぶことが、積み荷と乗組員──沢山のロボット達と、本人と、そして他でもないこの自分──の命をその肩に担っている彼女の仕事であり、責任。それがどれほどの重荷となっているのかは、解らない。しかし、きっと、自分が経験した事が無い程の重圧のはず。パッドの上に赤字で「死亡」「撃沈」等の縁起でもない単語が沢山浮かんでいるのを見れば、一目瞭然だ。
──何も出来なくて、すまない……。
席を離れ、彼女の寝顔を見下ろす。自分に出来る事と言えば、こうして彼女を見守るだけ。いや、見守るというのはおかしい。見てはいるが、守れてはいない。彼女の為に美味しい料理を作り、快適に暮らせるようにと船の環境維持に務めてはいるが、それも自分の趣味の一環のようなもの。副船長という立場を与えてくれ、それなりの待遇をしてくれる彼女に何も報いる事が出来ず、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。彼は、自分が悩んでいる事など露ほども思わず、穏やかな寝息を立ててぐっすりと眠っているの前髪を、そっと除けてやった。
──……それにしても、よく眠っているな……
相当疲れているのだろうか。寝るには少し辛い体勢だと言うのに、目を覚ます気配が無い。その場にしゃがんで目線の高さを合わせると、寝息が更にはっきりと耳に届いた。彼女が吐いた暖かい吐息を直ぐに自分が吸っている様な気がして、心臓が大きく跳ね上がる。慌てて立ち上がろうとしたが、視界にそれが入り、まるで何かの魔法にかかったかのように、身体が動かなくなった。
映ったのは、閉じられた、唇。
震える手を伸ばして、そっと触れる。
──やわ、らかい……
想像していたよりもずっとずっと柔らかなそれに、僅かに指先に力を込めて押すと、今にもふに、ふにとありえない音が聞こえて来そうだった。もう少し力を込めれば、この指は彼女の口の中へ入ってしまう。
そう、きっと、それは、滑り込むように。
するり、と。
──……きもち、いい……
入るか入らないか、ギリギリの所にある指が、どこかスリリングで離す事が出来ない。ぴったりとくっついたまま離れない指を、ゆっくりと動かして、口の端まで移動させる。思考は既に麻痺していた。瞳代わりのゴーグルは、真っ直ぐ指とその先を映していた。
他の物は、何も映らない。
それが、だんだん、大きくなる。
──…………
くちびるに、やわらかいものが、ふれた。
いつの間にか閉じられていた目を開ける。飛び込んできたのは、船長の寝顔。全貌が見られない、寧ろ閉じられた瞳しか映っていない様な至近距離。そして、まだ唇に残る、柔らかい感触。少しだけ舌を出して、舐める。濡れた感触。そこで、ようやく、我に返った。
──わ、わわわ、わたしっ、は、なに、を……ッ!
慌てて立ち上がって口元を抑える。この状況から推測される事実はたった一つ。先程の感触が蘇りまたしても頭がぼんやりとしてきたが、彼は慌てて頭を振った。今までで一番痛む、心臓。抑えて蹲りたいくらいに息苦しい。が、ここで倒れる訳にはいかない。今はまだ彼女は眠っているが、もしかしたら、今の行為で、起きてしまう、かもしれなくて。お伽噺のようにゆっくりと目を開けていくの姿が、ありありと想像出来て。目をぱちくりさせて、「ありがとう」と、はにかみながら笑ってくれそうな、気がして。
──〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
湯気が出そうなくらいに真っ赤になったアンドリューは、そこから全速力で、逃げた。 彼女を、裏切ってしまったような、気持ちになった。
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「…………ん……」 風邪をひかないようにと親切にしてくれた彼にお礼を言いに行こうと、彼女は操縦室を出て、上機嫌で彼が夕飯の準備をしているであろうキッチンへと向かった。
彼は何故だかやたらと挙動不審だったが、その理由は彼女には解らなかった。
話が唐突だとか坊ちゃんがおかしいとか色々あると思いますが、敢えて黙る方向で。
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